1. 僕の死神さん。                       
    sinigami


    主要登場人物
    ●音羽 十季(おとわ とき)←髪が赤っぽい子
    ●御神 昇(みかみ しょう)←髪が黒っぽい子
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    1.「アラーム」

    ピーッ、ピーlッ
     頭上にある機械がけたたましく騒いでいる。僕の異常を知らせるアラーム音だ。聞いたのは何度目だったっけ。3,4・・・よく覚えてはいないけれど、何度も聞いたことは確かだ。頭の奥にまで響く、このかん高い音は忘れない。僕は音の煩さに少し顔をしかめ、目を瞬かせた。部屋の白さが目にささってくるような気がした。消毒液の匂いが充満する、この真っ白な部屋。ここは僕が人生のほとんどを過ごした部屋だ。その部屋が今は霞んで良く見えない・・・。もともと色彩をほとんど持たず、ぼんやりとした部屋だったのが、さらにぼやけて見える。
    ・・・・あの天井のシミは、ウサギだったけ。それともフライパンだったけ。
    揺らめく景色にそんなことを思い、そんなことを考えている自分にあきれる。アラーム音は相変わらず部屋中に鳴り響いているし、お医者さんと看護師さんが慌てて部屋を出たり入ったりしている。事態は深刻のようだった。

    「十季!! 十季!!ときぃぃいっ!!」

    硝子の向こうに立っている母が叫び声を上げ、よろめく。隣に居た父がそれを支える。そして支える父の顔もまた、涙に濡れていた。今、この時が息子との別れになってしまうかもしれないからか。
    ・・・息が上手く吸えない。手足も動かない。視界もさらに不明瞭になっていく。

    「音羽くん、しっかり!がんばれ!気をしっかり持つんだ!!」

    お医者さんの声もすでに遠い。世界と自分とが急速に離れていくのを感じた。別れの言葉・・・・別れの言葉を・・・。もう何度考えたか分からない別れの言葉を、両親へ送る、最後の言葉を言わなきゃ。そう思ったが、酸素マスクを付けられている僕に喋ることなどできるはずもなかった。酸素がもれる、ひゅうというかすかな音がしただけだ。
    ・・・・いい加減、覚えないと。もう何度も体験しているのだから。自分が、こうして彼岸を覗くことなど。もはや死にかけるなどということは、慣れてしまった。もはや驚くことも慌てることもできなくなっていた。病と共に生まれた僕は、生まれながらに死を感じていた。だから逝きかけることは普通のことなのだった。・・・いつものことなのだ。こんなことなんか。幼い頃から飽きるほど繰り返され続けている、僕が死に触れるたび、家族が友達が、誰かが泣く。悲しむ。それが僕の日常だ。これが、僕の日常なのだ。




     いつもいつも心配させてごめんなさい。
    いつもいつも悲しませてごめんなさい。
    僕の思い出のほとんどは誰かの悲しむ顔が映りこんでる。泣き顔、懇願する顔、寂しげな顔、心配する顔。そればかり。
    ごめんなさい。
    ごめんなさい。
    僕が居たばっかりに。
    僕さえ居なかったなら、こんなに誰かが悲しむことなんで無かったのに。
    だから、神様。
    どうか、どうか・・・・これ以上、誰も悲しませないように。

     僕を殺してください。



    2.「死神」

     光が、降る。白いコンクリートの床の上に、静かにそうっと色とりどりの光が落ちてくる。深夜にぽっかり浮かんだ満月から生まれた光がステンドグラスの窓を通って、この場を虹色に染め抜く。そうして極彩色の光を纏った黄金の十字架が、僕の前で輝くのだった。

    「神様・・・・。」

    その光景は神の降臨を見ているかのように、荘厳だった。月光に照らされた十字架を見上げながら、僕は深いため息をつく。しん・・・と夜に沈む鏡水(きょうみ)学園の教会で、今日も僕は祈り続ける。小さい頃からの願い事を。

    ――・・・どうか、僕を殺してください。もうこれ以上、誰も悲しませないように。

     生まれたときから身体が弱かった僕は家に居るより、病院に居ることのほうが多かった。ちょうど高校生になる頃に、僕の体調もようやく人並みの生活が送れる程度には落ち着いた。そして都会の高校に行くよりも健康にいいだろうからと、両親が薦めてくれた森の中に佇む全寮制の学校に通うことになった。それが今、僕が居る鏡水学園だ。良いところを薦めてくれたと、両親には感謝している。キリスト系の学校らしく校舎は昔の修道院を改装して使っているとのことで、なんだか別の時代に迷い込んできてしまったかのようでわくわくする。森に囲まれているだけあって空気も澄んでいるし、全寮制のおかげで煩わしい通学時間もない。綺麗とは確かに言いがたいけれど、どこか神秘的な雰囲気も気に入っている。僕が今、祈りを捧げていた礼拝堂だって文化遺産でないのが不思議なくらいに、威厳と時の流れを感じさせる。クリスチャンでもない僕がこうして毎日、祈りをささげてしまうほどに、だ。ここに来ると本当に願い事を聞いてもらえるんじゃないか、と思ってしまう。だから神父さまに頼み込み、礼拝堂を開けてもらって、こうやって毎晩祈りにくる。神様が聞いたらお怒りになりそうな、願い事。そう分かっていても祈ってしまうのは、神様しか頼る人が居ないからか、神様に頼らなくてはならないほど切実なものだからか。
    ぼーん・・・・ぼーん。
    日付が変わったことを壁時計が静かに告げる。
    「早く部屋に戻らなくちゃ・・・。」
    確か明日は日直のはずだった。昨日の放課後に先生に言われたことが頭をよぎる。朝早く行かなくちゃいけないから、今日は早く帰ろうと決めていたのについつい熱中してしまった。これじゃ、いつもの時間と変わらない。同室の幸(こう)には早く帰ると約束していたのに・・・・。心配させるなと怒る幸の顔が目に浮かぶ。幸は心配症だからなあ。そんなことを考えながら片付けを手早く済ませ、僕は出口へ急いだ。きぃ。外へと通じる扉を一気に開け放つ。同時に夜の香りを含んだ風が一気に僕を包んだ。

    「いたっ」

    風が目にしみる。身体を巻き上がらせんばかりの風に僕は思わず目をつぶり、頭を抱えた。

    ・・・・・・・。

    ふと風が、止んだ。
    さっきまでの強風が嘘のように止み、今度はさっきよりも深い静寂につき落とされる。

    ばささっ・・・。

    「うわ・・・・!」

    突然の羽音。鳥の羽音だろう。それがやけに大きく響いた気がして、思わず身をすくめた。音はすぐ近くでしたかと思うと瞬く間に空の上へと消えていった。そうしてまたさらに暗澹(あんたん)とした静かな闇が訪れる。皮膚をちりちりと這い回るような、空気。慣れたはずの学校が、風景はそのままに全く違う世界にすりかわってしまったかのような、そんな違和感。闇色に溶ける暗緑の森、僕の後ろにそびえる老齢の建造物、それを守る空に金色(こんじき)の星も月もすべてが変わって、僕以外の全てが変わってしまった。そんな感覚に捕らわれる。こんなことは何回も通っていて、初めて感じる感覚だった。何かが、違う。・・・・こんなにも胸をざわつかせるのは恐怖なのか。それともまた別の・・・何かなのか。
    僕はそろそろと、瞼をあけた。
     ・・・・・・少し離れた向こうに、男の人が立っているのが見えた。それは綺麗な綺麗な人だった。艶めく黒髪に、夜よりも、さらに暗い夜色の服。肌だけが抜けるように白く、月光にゆらりと青白く光っていた。闇を詰めたこんだかのように暗い目は、ぼう・・・と、どこかに向けられている。その姿は一枚の絵画を見ているかのような美しさだった。

    「・・・・・」

     僕はとっさに扉の影に隠れた。あの人はどこを見ているんだろうか。あまりにも浮世離れしているその人が何をしているのか気になる。ばさばさ・・・。また鳥の羽音。音の先を見上げてみれば黒い鳥が、真っ黒で大きな鳥が飛んでいた。どうやらあの人はあの黒い鳥を見つめていたらしかった。月夜に黒いシルエットをうつしながら、しばらく上空を飛んでいた鳥は、男の人の肩の上に優雅にふわりと降り立った。もしかするとあの鳥が、さっき耳元で羽音を鳴らした鳥なのかな・・・・。

    「そろそろ・・・・だな」

     男の人はポケットから取り出した時計を見ながら呟く。時間とはいったいなんのことだろう。僕はなぜかその場を動けないで居た。動いてはいけない・・・そんな気がしたのだ。男の人の、狂気すら感じる雰囲気に魅了されたのかもしれない。小さく息を吸い、扉を掴む手に力を込めて、その場をうごかないぞと自分の身体に言い聞かせた。しばらくすると、ガサガサと目の前の草むらが大きく揺れた。

    「ひ・・・・っ」

    漏れそうになった悲鳴を慌てて喉の奥に押し込む。見ているうちにだんだんと草むら揺れは次第に大きくなり、ついに草むらから影が飛び出した。

    「わん!」

     現れたのは一匹の灰色の犬だった。誰にも飼われていないのか、少し身体が汚れているものの、ぱたぱたと元気良くしっぽを振っている。その犬は男の人の姿を見ると嬉しそうに、くぅんと鳴いた。男の人はその様子を見て、ただ目を細めている。犬は男の人の足元へ、トタトタと走っていき、足元にすりよる。犬は満足そうにくうんと鳴き、男の人はするりとその白い手を伸ばした。――・・・・そこまでは普通だった。世界がすりかわったなどというのは全くのデタラメで、今このときは何かの夢だったと思えた。この瞬間までは。だが、そうでなかった。
     やはり・・・・・この世界は異常に違いなかったのだった。犬は倒れた。男の人の足元に。ぱたりと、まるで糸が切れたマリオネットのように。さきほどまであんなにも元気だった犬が、唐突に倒れるなど普通は起こりえない。驚くはずの出来事だ。しかし男の人は動かなかった。ただ目を細め、倒れた犬を見ていた。風にその黒絹の髪がなびく以外、男の人が身体を動かすことはなかった。犬も、もう・・・動かなかった。あの人が何かをしたのは明らかだと思う。あの犬を倒れさせるような、なにかをあの人はしたのだ。

    「ぁ・・・・あああぁあ」

     今度こそ本当に悲鳴を上げそうになった。急いで自分の口を塞ぎ、ぎりと歯を噛み締める。そうして今にも出そうな声を押しとどめておこうとした。なのに歯が噛み合わない。反発しあう磁石のように合わなかった。ガチガチと、情けない音を出している。目の前の光景が信じられなかった。どうしてなんであのわんちゃんは倒れた?なんであの男の人は助けないの?どうしてあの男の人は「そろそろだ」だなんて言った? 考えるほどに心臓が痛い。ばくばくと騒ぐ。ガチガチと奥歯が鳴る。

    ・・・・・まさか、あの人が殺した、の。

     僕が見ている前で、男の人はまた時計を一瞥した。・・・・そして足元の死んでしまったらしい犬を、ふわりと撫でた。その行為は犬が逝ってしまったことを嘆いているかのようにも見える。・・・・でも、口元には笑みが張り付いていた。三日月のような鋭い口元。闇を詰めたこんだかのように暗い目が弧を描く。じわりと、空気を震わすかのような低い声が呟いた。

    「時間どおり、か」

     瞬間、ぞくりと背中が震えた。
     怖かったからじゃない。確かに直前までは恐ろしかった。闇を引き連れたような彼が。でも、今は違う。理解した今は違う。・・・・彼は、死神なのだ。だからこんな夜中に、こんな森の中に、あんな大きな黒い鳥と共に、こうして灰色の犬の魂を、狩りにやってきたのだ。そうだ、きっとそうに違いない。神様が僕の願いを聞いてくれたんだ、やっと、やっと、やっと!!

    「あ・・・・あの!死神さん!」

    だから僕は無我夢中で、彼の服を掴んだのだ。


    3.「約束」


     「おい、十季〜。一緒に行くって言ったのになんで起こしてくんなかったんだよ!!」

     黒板を消していると、幸がバタバタと教室に入ってきた。どうやら怒っているらしかった。でも、日直でもない彼を早く起こしてしまうのは気が引けるし、それに・・・昨日のことを一人で考えたかった。だからそのままにして登校してきたのだったが。あまりお気に召さなかったらしい。

    「ごめん。ぐっすり寝てたみたいだったから」

    「んな遠慮すんなよ。・・・って、なんか顔色悪くねぇ?体調悪いのかよ」

    「そんなことないよ」

     幸のほうへ振り向くと、額に手が当てられた。どうやら熱がないか計ってくれているらしい。つくづく彼は心配性だと思う。幸は学校に入って初めて喋った友達で、入学式で倒れた僕を保健室に連れて行ってくれたのも彼だった。しかも入寮して分かったのだけれど、なんと幸がルームメイトだった。そんな出会いだったからか、幸は何かと僕の世話を焼いてくれる。嬉しい反面、申し訳ないとも思う。運動部に所属するくらい活発な彼だから、本当はもっとやりたいことがあるはずだ。・・・・それなのに僕を気にかけてくれる。

     「ん。熱はないみたいだな。ったく、いい加減、夜に教会行くの辞めれば?絶対、身体に悪いと思うんだけど」

     「夜のほうが集中できるんだよ。それに元気だし・・ごほ!」

     しまった。言ったそばから咳をしたら説得力の欠片もないじゃないか。おそるおそる幸の様子を伺ってみると、ほらみろといわんばかりに口をへの字にまげていた。

     「あは・・あはは」

     気まずくなった僕は黒板消しを持ってベランダへ移動することにした。それについてきた幸が窓を開けてくれる。

     「そういやさ」

     外はひんやりとした風が吹いていた。それでも寒いというわけではなく、はっきりと太陽の暖かさを感じられる日和だ。空も晴れている。良い一日が送れそうだ。

    「なんか言った?幸」

    ぱたぱたと黒板消しをはたきながら、後ろで相変わらずしかめっ面をしているであろう幸に問いかける。

    「昨日、帰ってくるの遅かったよな。なにかあったのか?」

    びくり。身体が揺れた。思わず手の中の黒板消しを落としそうになった。

    「そ、そうだったけ。・・・あ、いつもより長めに教会にいたからかな・・・」

    昨日のことが、頭の中でじわりじわりと蘇ってくる。

    昨日。昨日出会ったあの人。黒衣を纏った綺麗なあの人。・・・・あの人が、僕に言ってくれた言葉。

     「殺してあげるよ、君のことを」

    ――・・・・昨日、彼と出会った・・・・・瞬間。





     「あ・・・・あの!死神さん!」

     ばさばさ! 僕の声に驚いたのか、男の人の肩にとまっていた鳥が慌てて飛び立った。僕と彼の間に、黒い羽が舞い降りる。ひらり、ひら。一枚、二枚・・・。その羽が、死の訪れを思わせた。確かに僕は、今、死神と対峙しているのだ・・・。彼はゆっくりとこちらに顔を向け、かすかに眉を寄せた。

     「君・・・。今の見た?」

     「ごめんなさい!わざとじゃないんです・・あの、偶然・・・通りかかって。」

     だからこそ早く言わなければ。彼に願い事を。

     「・・・そう。見たんだね。」

     彼の声が吐息と混じって闇を帯びた・・・ような気がした。彼がゆったりとした足取りで僕のほうへ近づいてくる。一歩、また一歩。彼は確実に前へ進み、僕は確実に後ろへ戻っていた。
    ・・・・かつん。足が壁に当たった。もうこれ以上は後ろに進めない。
    かつん。彼の足が僕の視界に踏み込んでくる。
    かつん、かつん・・・・。
    音が、影が近づいてくる。

    「・・・・いけない子だ」

    そしてとうとうお互いの身体が触れるほど、距離が縮まる。

    「あの・・・」

    目が合うと、硝子球の瞳に僕を映して彼はふわりと微笑んだ。

    「名前は?」

    「僕、この学園の2年、音羽 十季っています!あの、貴方に死神さんに願い事があるんです!!」

    「死神に・・・・?」

    彼は困ったように笑い、髪をさらりとかきあげた。困って当然だろう。死神に願い事をする人なんてあまりいないに違いない。だって死神が叶えられるのは『死』に関することだけ。たいていの人は死神に願い事なんてないはずだ。・・・僕を除いては。

    「叶えてほしいことがあるんです!!だから、貴方をずっとずっと待っていたんです」

    いまだに握り締めたままだった彼の服をさらに強く掴んだ。ちゃんと聞いて欲しくて、どこへも行かないで欲しくて。

    「僕を、殺してください。死神さん」


     



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